199年 - 200年

官渡の戦い

曹操孟徳そうそう

出来事に戻る
徐州急襲軍の総指揮官

曹操勢力

これより前、曹操は劉備を徐州へ送り、袁術を防がせた。建安五年、曹操が自ら劉備を攻めると、田豊は曹操の背後を襲うよう袁紹に説いたが、袁紹は子の病気を理由に認めなかった。曹操は劉備を破り、劉備は袁紹のもとへ逃れた。建安五年、曹操が東征すると劉備は袁紹のもとへ逃れた。曹操は関羽を捕らえて帰り、偏将軍に任じて厚く礼遇した

曹操に関連する出来事一覧

原文

先是,太祖遣劉備詣徐州拒袁術。術死,備殺刺史車冑,引軍屯沛。紹遣騎佐之。太祖遣劉岱、王忠擊之,不克。建安五年,太祖自東征備。田豐說紹襲太祖後,紹辭以子疾,不許,豐舉杖擊地曰:「夫遭難遇之機,而以嬰兒之病失其會,惜哉!」太祖至,擊破備;備奔紹。
日本語対訳

これより前、曹操は劉備を徐州へ送り、袁術を防がせた。袁術が死ぬと劉備は刺史の車冑を殺し、沛に軍を置いた。袁紹は騎兵を送って劉備を助けた。建安五年、曹操が自ら劉備を攻めると、田豊は曹操の背後を襲うよう袁紹に説いたが、袁紹は子の病気を理由に認めなかった。曹操は劉備を破り、劉備は袁紹のもとへ逃れた。

先主之襲殺徐州刺史車冑,使羽守下邳城,行太守事,而身還小沛。建安五年,曹公東征,先主奔袁紹。曹公禽羽以歸,拜為偏將軍,禮之甚厚。
日本語対訳

劉備は徐州刺史の車冑を襲って殺すと、関羽に下邳城を守らせて太守の職務を代行させ、自身は小沛へ戻った。建安五年、曹操が東征すると劉備は袁紹のもとへ逃れた。曹操は関羽を捕らえて帰り、偏将軍に任じて厚く礼遇した。