199年 - 200年

官渡の戦い

沮授そじゅ

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持久戦と慎重な用兵を説く監軍

袁紹勢力

顔良の単独起用や渡河、短期決戦に反対し、兵站を生かした持久策を説いた監軍。進言は採用されず、敗走時に捕らえられた後、袁氏のもとへ戻ろうとして殺された

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原文

紹進軍黎陽,遣顏良攻劉延於白馬。沮授又諫紹:「良性促狹,雖驍勇不可獨任。」紹不聽。太祖救延,與良戰,破斬良。
日本語対訳

袁紹は黎陽へ進軍し、顔良を送って白馬の劉延を攻めさせた。沮授は、顔良は勇猛でも視野が狭く、単独で任せるべきではないと袁紹を諫めたが、袁紹は聞き入れなかった。曹操は劉延を救援し、顔良を破って討ち取った。

紹遣大將軍顏良攻東郡太守劉延於白馬,曹公使張遼及羽為先鋒擊之。羽望見良麾蓋,策馬刺良於萬眾之中,斬其首還,紹諸將莫能當者,遂解白馬圍。
日本語対訳

袁紹が大将の顔良に白馬の東郡太守・劉延を攻めさせると、曹操は張遼と関羽を先鋒として迎え撃たせた。関羽は顔良の旗と車蓋を見つけ、騎馬で大軍の中へ進んで顔良を討ち、その首を取って戻った。袁紹軍の諸将は関羽を止められず、白馬の包囲は解かれた。

太祖還官渡。沮授又曰:「北兵數衆而果勁不及南,南穀虛少而貨財不及北;南利在於急戰,北利在於緩搏。宜徐持久,曠以日月。」紹不從。連營稍前,逼官渡,合戰,太祖軍不利,復壁。
日本語対訳

曹操は官渡へ戻った。沮授は袁紹に、北軍は人数が多い一方で勇猛さでは南軍に及ばず、南軍は兵糧と物資で北軍に及ばないため、長期戦にすべきだと説いた。袁紹は従わず、陣営を連ねて官渡へ迫った。戦うと曹操軍は不利となり、陣へ戻って守りを固めた。

紹進保陽武。八月,紹連營稍前,依沙塠為屯,東西數十里。公亦分營與相當,合戰不利。
日本語対訳

袁紹は陽武へ進んで陣を置いた。八月、陣営を連ねて少しずつ前進し、砂の丘に沿って東西数十里にわたり駐屯した。曹操も陣を分けて対抗したが、戦うと不利だった。

紹為高櫓,起土山,射營中,營中皆蒙楯,衆大懼。太祖乃為發石車,擊紹樓,皆破,紹衆號曰霹靂車。紹為地道,欲襲太祖營。太祖輒於內為長塹以拒之。
日本語対訳

袁紹軍は高櫓を設けて土山を築き、曹操軍の陣へ矢を射かけた。陣中の兵は盾で身を覆い、ひどく恐れた。曹操は投石車を作らせて櫓を壊し、袁紹軍はこれを霹靂車と呼んだ。袁紹軍が地下道で曹操の陣を襲おうとすると、曹操軍は内側に長い壕を掘って防いだ。

太祖還,未至營,紹將高覽、張郃等率其衆降。紹衆大潰,紹與譚單騎退渡河。餘衆偽降,盡坑之。
日本語対訳

曹操が本営へ戻る前に、袁紹軍の高覧と張郃らは部隊を率いて降伏した。袁紹軍は大きく崩れ、袁紹と袁譚はわずかな騎兵で黄河を渡って退いた。残った兵は偽って降伏したとされ、曹操軍に全員が生き埋めにされた。

沮授不及紹渡,為人所執,詣太祖。太祖厚待之。後謀還袁氏,見殺。
日本語対訳

沮授は袁紹の渡河に間に合わず、捕らえられて曹操のもとへ送られた。曹操は厚く遇したが、沮授は後に袁氏のもとへ戻ろうと企て、殺された。