192年 - 196年 董卓暗殺と後漢朝廷の流転 展開14 曹操の洛陽入城と許遷都 韓暹かんせん 出来事に戻る 曹操の入城後に洛陽から退く将後漢朝廷 韓暹は献帝を洛陽へ戻したが、曹操が都へ進むと退走した。 伝 韓暹に関連する出来事一覧 原文 陳寿本文巻一 武帝紀・曹操・洛陽入城と韓暹退走 秋七月,楊奉、韓暹以天子還洛陽,奉別屯梁。太祖遂至洛陽,衞京都,暹遁走。天子假太祖節鉞,錄尚書事。 日本語対訳秋七月、楊奉と韓暹は天子を洛陽へ戻し、楊奉は別に梁県へ駐屯した。曹操は洛陽へ進んで都を守り、韓暹は逃走した。天子は曹操に節鉞を授け、録尚書事として政務を統轄させた。
陳寿本文巻一 武帝紀・曹操・洛陽入城と韓暹退走 秋七月,楊奉、韓暹以天子還洛陽,奉別屯梁。太祖遂至洛陽,衞京都,暹遁走。天子假太祖節鉞,錄尚書事。 日本語対訳秋七月、楊奉と韓暹は天子を洛陽へ戻し、楊奉は別に梁県へ駐屯した。曹操は洛陽へ進んで都を守り、韓暹は逃走した。天子は曹操に節鉞を授け、録尚書事として政務を統轄させた。