192年 - 196年

董卓暗殺と後漢朝廷の流転

張済ちょうせい

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弘農に駐屯して李傕・郭汜を仲介する将

董卓旧軍・李傕政権

董卓旧将。弘農に駐屯し、李傕と郭汜を調停して献帝の長安脱出を導いた

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原文

比傕等還,輔已敗,衆無所依,欲各散歸。旣無赦書,而聞長安中欲盡誅涼州人,憂恐不知所爲。用賈詡策,遂將其衆而西,所在收兵,比至長安,衆十餘萬。
日本語対訳

李傕らが戻った時には牛輔はすでに敗れ、兵たちは頼る先を失って、それぞれ故郷へ帰ろうとした。赦免の文書がなく、長安では涼州人を皆殺しにするという話も聞き、不安に陥ってどうすべきか分からなかった。そこで賈詡の策を用い、軍勢を率いて西へ進み、各地で兵を集めた。長安へ着く頃には十余万に増えていた。

初,卓女壻中郎將牛輔典兵別屯陝,分遣校尉李傕、郭汜、張濟略陳留、潁川諸縣。卓死,呂布使李肅至陝,欲以詔命誅輔。輔等逆與肅戰,肅敗走弘農,布誅肅。
日本語対訳

はじめ董卓の娘婿で中郎将の牛輔は兵を率いて陝に別駐し、校尉の李傕・郭汜・張済を分けて陳留・潁川の諸県へ略奪に向かわせていた。董卓が死ぬと、呂布は李粛を陝へ送り、詔命によって牛輔を殺そうとした。牛輔らは迎え撃って李粛と戦い、李粛は敗れて弘農へ逃れ、呂布に処刑された。

其後輔營兵有夜叛出者,營中驚,輔以爲皆叛,乃取金寶,獨與素所厚友胡赤兒等五六人相隨,踰城北渡河,赤兒等利其金寶,斬首送長安。
日本語対訳

その後、牛輔の軍営から夜に逃げた兵があり、陣中が騒然となった。牛輔は全軍が背いたと思い、財宝を持って、日頃から親しくしていた胡赤児ら五、六人だけを連れ、城を越えて黄河を北へ渡った。胡赤児らは財宝を奪おうとして牛輔の首を斬り、長安へ送った。

誅殺卓者,尸王允於市。傕爲車騎將軍、池陽侯,領司隷校尉、假節。汜爲後將軍、美陽侯。稠爲右將軍、萬年侯。傕、汜、稠擅朝政。濟爲驃騎將軍、平陽侯,屯弘農。
日本語対訳

李傕らは董卓を殺した者を処刑し、王允の遺体を市場にさらした。李傕は車騎将軍・池陽侯となり、司隷校尉を兼ね、仮節を受けた。郭汜は後将軍・美陽侯、樊稠は右将軍・万年侯となり、三人が朝政をほしいままにした。張済は驃騎将軍・平陽侯となり、弘農に駐屯した。

傕將楊奉與傕軍吏宋果等謀殺傕,事泄,遂將兵叛傕。傕衆叛,稍衰弱。張濟自陝和解之,天子乃得出,至新豐、霸陵間。
日本語対訳

李傕の将である楊奉は、李傕軍の官吏・宋果らと李傕を殺そうと計画した。計画が漏れると、楊奉は兵を率いて李傕に背いた。李傕の兵は離反し、勢力は次第に弱まった。張済が陝から来て李傕と郭汜を和解させたため、天子は長安を出て新豊・霸陵の間まで進むことができた。