192年 - 196年

董卓暗殺と後漢朝廷の流転

呂布奉先りょふ

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董卓暗殺を実行して長安を守る将

呂布勢力

王允らと董卓暗殺を実行した将。李傕らに長安を奪われて敗走した

呂布に関連する出来事一覧

原文

允初議赦卓部曲,呂布亦數勸之。既而疑曰:「此輩無罪,從其主耳。今若名為惡逆而特赦之,適足使其自疑,非所以安之之道也。」呂布又欲以卓財物班賜公卿、將校,允又不從。
日本語対訳

王允は当初、董卓の部曲に正式な赦免令を出すことを検討し、呂布もたびたび勧めた。しかし王允は、「彼らにはもともと罪がなく、旧主の董卓に従っただけだ。それなのに反逆者と位置づけたうえで特別に赦免すれば、自分たちが罪を問われているのではないかと、かえって疑わせる。これは彼らを安心させる方法ではない」と考え、赦免令を出す案を取りやめた。呂布は董卓の財物を公卿や将校へ分け与えることも求めたが、王允はこの提案にも従わなかった。

與卓故部曲樊稠、李蒙、王方等合圍長安城。十日城陷,與布戰城中,布敗走。傕等放兵略長安老少,殺之悉盡,死者狼藉。
日本語対訳

李傕らは董卓の旧部曲である樊稠・李蒙・王方らと合流し、長安城を包囲した。十日で城が陥落し、城内で呂布と戦うと、呂布は敗走した。李傕らは兵を放って長安の老若を略奪させ、多くを殺したため、遺体がいたる所に重なった。

布使同郡騎都尉李肅等將親兵十餘人,偽著衞士服守掖門。布懷詔書。卓至,肅等格卓。卓驚呼布所在。布曰「有詔」,遂殺卓,夷三族。主簿田景前趨卓尸,布又殺之;凡所殺三人,餘莫敢動。
日本語対訳

呂布は同郡出身の騎都尉・李粛らに直属兵十余人を率いさせ、衛士の服を着せて掖門を守らせた。呂布は詔書を懐に入れた。董卓が来ると、李粛らが襲いかかった。董卓は驚いて呂布の所在を叫んだ。呂布は「詔がある」と言い、董卓を殺して三族を処断した。主簿の田景が董卓の遺体へ駆け寄ると、呂布は田景も殺した。殺されたのは三人で、ほかの者は誰も動こうとしなかった。

初,卓女壻中郎將牛輔典兵別屯陝,分遣校尉李傕、郭汜、張濟略陳留、潁川諸縣。卓死,呂布使李肅至陝,欲以詔命誅輔。輔等逆與肅戰,肅敗走弘農,布誅肅。
日本語対訳

はじめ董卓の娘婿で中郎将の牛輔は兵を率いて陝に別駐し、校尉の李傕・郭汜・張済を分けて陳留・潁川の諸県へ略奪に向かわせていた。董卓が死ぬと、呂布は李粛を陝へ送り、詔命によって牛輔を殺そうとした。牛輔らは迎え撃って李粛と戦い、李粛は敗れて弘農へ逃れ、呂布に処刑された。

其後輔營兵有夜叛出者,營中驚,輔以爲皆叛,乃取金寶,獨與素所厚友胡赤兒等五六人相隨,踰城北渡河,赤兒等利其金寶,斬首送長安。
日本語対訳

その後、牛輔の軍営から夜に逃げた兵があり、陣中が騒然となった。牛輔は全軍が背いたと思い、財宝を持って、日頃から親しくしていた胡赤児ら五、六人だけを連れ、城を越えて黄河を北へ渡った。胡赤児らは財宝を奪おうとして牛輔の首を斬り、長安へ送った。

郭汜在城北。布開城門,將兵就汜,言「且卻兵,但身決勝負」。汜、布乃獨共對戰,布以矛刺中汜,汜後騎遂前救汜,汜、布遂各兩罷。
日本語対訳

郭汜が城北にいると、呂布は城門を開き、兵を率いて近づいて「兵を退け、身一つで勝負を決めよう」と言った。郭汜と呂布は一騎打ちとなり、呂布の矛が郭汜を刺した。郭汜の後続騎兵が進み出て救ったため、両者はそれぞれ兵を引いた。

先是,司徒王允以布州里壯健,厚接納之。後布詣允,陳卓幾見殺狀。時允與僕射士孫瑞密謀誅卓,是以告布使爲內應。布曰:「奈如父子何!」允曰:「君自姓呂,本非骨肉。今憂死不暇,何謂父子?」布遂許之,手刃刺卓。語在卓傳。
日本語対訳

これより前、司徒の王允は同じ州出身で勇壮な呂布を厚く迎えていた。呂布が王允を訪ね、董卓に殺されかけた事情を話すと、士孫瑞と董卓暗殺を密議していた王允は内応を求めた。呂布が父子同然の関係を気にすると、王允は、姓も異なり血縁ではなく、いま死を恐れているのに父子と言えるのかと説いた。呂布は承諾し、自ら董卓を刺した。

卓自以遇人無禮,恐人謀己,行止常以布自衞。然卓性剛而褊,忿不思難,嘗小失意,拔手戟擲布。布拳捷避之,爲卓顧謝,卓意亦解。由是陰怨卓。卓常使布守中閤,布與卓侍婢私通,恐事發覺,心不自安。
日本語対訳

董卓は人への扱いが無礼で、襲撃を恐れて常に呂布を護衛とした。しかし短気な董卓は、わずかに意に沿わないことがあると手戟を呂布へ投げつけた。呂布は素早く避けて謝り、董卓の怒りも解けたが、これを機にひそかに恨みを抱いた。また呂布は董卓の奥の門を守る間に侍女と密通し、発覚を恐れて心が安まらなかった。